「ぼくらのバラード」1-9 書けた!

「だめか」

 思わず言っていた。どうするか。

「ご飯だよ」

 母さんの声。歌詞を考えたままダイニングに行く。

父さんは仕事。今ごろは、店で音楽談義だろう。

九州の祖父のことを思った。プロだった時期、どんな曲を書いたのだろう。その才能が、僕に遺伝していることを祈った。

 妹が「お母さん、とんかつおいしい」と言っている。僕も「うんうん」と言ったが、あまり味はわからなかった。早く自分の部屋に戻りたかった。

「ごちそうさま。やることあるから」

 母と妹が顔を見合わせた。

 

 ノートの新しいページを開く。目を閉じて考えた。


 中学でまつりに出会った。

 僕の前で仁王立ち。「中島みゆきさんが神」と言った。軽音部に入ろうと誘い、五年後、僕を部長にした。

 今、路上ライブという新しい景色を、見せようとしている。そのためにも、歌詞を書けと言っている。

 まつりがいなかったら。想像してみる。

 僕なんて、ただの音楽好きの高校生で、もうすぐ大学入試だなあ、とか言いながら、スナック菓子でも食べてるのだろう。のんきな顔をして。

 平凡だ。もともと平凡すぎるくらい平凡なんだ、僕は。

 みゆきも拓郎も、泉谷も陽水も、どんな気持ちで曲を作るのだろう。

お菓子をつまみながら、なんてありえない。

 抑圧、哀しみ、孤独。自分の感情と闘って、ことばと音をひねり出すのだ。

 ぬるくて甘い僕に、書けるわけがない。

「それでも」と呟いた。

 それでも、新しい一歩なんだ。記念の一曲。書かなきゃ。まつりと二人のチャレンジだ。

 考えろ。集中しろ。

 最初の一行。気恥ずかしいフレーズだ。

 開き直るしかない。

 恥ずかしくてもいい。冷やかされてもいい。素直に書こう。やっとシャーペンが動き始めた。時間を忘れる。書いたり消したりを繰り返した。

 夜が明けた。パソコンで清書しプリントアウトした。もう一度、読み返した。

 ストレートすぎる。頭を振った。その考えを追い出す。これ以上どうしろと言うのだ。ダメ出しされたら、また考えよう。そのときはそのときだ。

 とにかく、少し眠ろうと思った。徹夜明けの僕を見られたくない。明日、いや今日も、まつりに会うのだ。

 

 目が覚めた。

 時計を見た。七時五十分。寝過ごした。飛び起きる。

 終業式前日。授業はないが、市内の施設でスケート教室が実施される。授業三時間分だぞ。体育教師が言っていた。やばい、やばい。休むわけにはいかない。

 急いで制服に着替えた。ジャージをバッグに突っ込む。部屋を飛び出すと、妹と出くわした。まだパジャマのままだ。

「え、お前、遅れるぞ」

「いいの。親子面談で十一時に行くの、お母さんと。てか、お兄ちゃんは今日、何」

「スケート教室。お前、気を利かせて起こしてくれよ」

「高校生の予定まで知らないよ」

 話してる時間が惜しい。「ヒカル、朝ごはんは」という声に、「ごめーん」と返して家を出る。

 タクシー通学は禁じられているが、大通りでタクシーに乗った。スケートリンクまで、千五百円くらいか。痛いけど仕方がない。

 直接乗り付けると目立ちすぎる。二百メートルほど手前で降ろしてもらった。そこから走り出す。わざとらしく全力疾走。気持ちは伝わるかも知れない。

 クラスごとの整列が終わっていた。出席を取っている。なんとか列に入った。冬だというのに暑い。担任が「田辺、大目に見とくけどな」と言った。

 呼吸はまだ荒かったが、スケート教室が始まれば気楽だった。授業とは言え、自由に滑っていればよかったのだ。そもそも体育の先生が、壁につかまって動こうとしない。

 僕はリンクの真ん中で、クラスメイトの立花君と雑談をしていた。外側を周回するものが多く、中央付近は空いていた。

 後方でシャーという音がした。エッジを効かせて止まる。まつり。

「こら、五月女。そんなにスピード出すな。人が大勢いるんだ。危ないぞ」

 体育教師の権堂が壁際で叫ぶ。手すりのあるところから離れない。

 まつりが「ごめんなさーい」と叫び返した。権堂が「おー」と言う。

 なんだ「おー」って。完全にまつり大好きだろ。立花君が苦笑している。

「立花くん、おはよ」

 まつり、満面の笑顔。立花君は勘がいい。

「おはよう。あ、クラブの話だね。どうぞ、してして。俺、自販機コーナーに行ってくる」
 立花君が滑走していく。

「立花くーん、ごめんね」

 まつりが声をかける。立花君は気がいい。まつりの声に振り返ったとき、転びそうになったが、なんとか耐えた。

「わー、危なかったね」

 まつりが言う。いや、君のせいだよ。

「まつり、スケート、うまいんだ。知らなかった」

「小学四年生までフィギュアやってたの。やめちゃったけど」

「何でもできるんだね、君は」

 そんなこと知らなかった。知らなかったのが悔しかった。こんな気持ちは初めてだ。歌詞を書いたことと関係があるのか。

 僕の口調に気付いて、まつりが言った。

「え、なに? どうかした」

「何でもないよ」

 一秒か二秒。沈黙。気持ちを探る時間。

 いつもの調子に戻って、まつりが言う。

「今日、遅かったね。欠席かと思った。心配した」

「ぎりぎり、セーフだったよ」

「歌詞、考えてたの?」

「そりゃ」

 彼女が小さく手を叩く。

「早く見たい」

 自信はないが全力で書いた。見てほしいと思う。