「ぼくらのバラード」1-20 拍手 (第一章ラスト)

 うまく入れた。

 まつりが微笑むのが見えた。僕のソロ。サビまで一人だ。

届くだろうか、聴いている人に。いや、まつりに。

「夢のようにきみは舞い降りた」

 冬の乾燥した空気の中で、高いキーがつらかったが、なんとか切り抜けた。

 二番はまつりだ。

「ふたりで歩いた道のりは いつもなぜだかでこぼこで」

 短い道のりかも知れない。僕たちはまだ十六だ。

でも、その人生の三分の一、いっしょにいたのだ。

 僕の思いをまつりはどう思うのだろう。

 サビ、まつりと同じフレーズを歌う。


「五回の春夏 秋と冬

 出会えてよかった五年の気持ち

 溢れてくるから 受け取ってくださ

 五回の季節を 振り返る

 すべての場面に五年の月日に

 変わらず必ず そこにいたんだね」
 
 まつりが歌っても、歌詞の視点は僕。

 ラスト。曲をつけるときに 付け加えた歌詞。

 ラストに入る。僕の気持ち。

「君がいたから、できたんだ」

 まつりがいたから、ここに僕はいる。

 噴水前広場で、自分の歌を歌っている。

「ひとりでは ひとりでは来なかった

 君がいた 君がいたから

 ここまで来たんだ」

 まつりの後奏。エンディング。

 アルペジオで四小節。最後にジャンとストローク

 フィニッシュ。

 身内から盛大に拍手が起きた。初見の人たちは、パラパラと手を叩く。大きな拍手とは言えなかった。しかたがない。始めて見た高校生が、始めて歌っている曲なのだ。

「ありがとうございましたあ。また、ここで演奏すると思うので、聴きに来てください。ヒカルとまつりでしたあ」

 締め方がプロみたいだ。思いながら、僕が頭を下げると、中年男が話しかけてきた。

「『落陽』、よかったぜ」

 褒められたのが一曲だけだったが、やはり嬉しい。グッと来た。

「ありがとうございます」

 空を見た。冬の青空。ガチガチの僕を、まつりが救ってくれた。

 大きく息をした。冬の冷気を思いっきり吸い込んだとき、まつりが飛びついてきた。

大熊が渋い顔をする。

「おいおい、人前で、何やってんだよ」

 照れくさかったが、僕もまつりをハグした。

 

                  [一章 了]

 

「ぼくらのバラード」1-19 いよいよ本番

「わかった」

 まつりが前を見る。

「勇気が出た」

 キーボードの前に行く。

「時間通り、始めよう。ヒカル」

 僕は頷いた。正午にスタートの予定だ。五分前。

 クラブの仲間。少し離れたところに集まっている。手を振ってくれた。

 もっちーがペットボトルを持ってきた。

「大熊君がホットのお茶がいいって」

 なんだ、あの野郎。ふたり、いい雰囲気だ。

 思ったが口に出す余裕はない。時間だ。

 まつりを見る。彼女が小さく頷く。唇が固く結ばれている。表情が固い。

おそらく僕の表情も強ばっている。仕方がない。初めての経験なのだ。

 一曲目は、まつりのソロだ。Dセブン・サス・4で始まる。

彼女が二回、キーボードを叩いた。スピーカーがいい音を鳴らす。五月女家の機材、さすがだ。

 僕も同じコードを弾く。まつりが僕を見て微笑む。リラックスしたようだ。

 僕はまだ緊張している。

「みなさん、こんにちは。初めまして」

 まつりの声が広場に響く。

「ヒカルとまつりでーす」

 大熊が笑い、もっちーが手を叩く。

「寒い中、ありがとうございまーす。私たちの演奏、聴いていってください。一曲目です」
 前奏が始まる。クラブで演奏した「糸」。

まつりのソロだ。歌に入る。出だし、声がかすれたが、すぐに持ち直した。

 立ち止まる人が現れた。年配の男性が目立つ。まつりが目を引く。

歌い終わり、最後の音が消えていく。拍手が起こった。

 一番前で、強く手を叩いている中年男性がいる。紺色のコートを着て、ビジネスバッグを足もとに置いている。仕事の途中なのだろう。

 二曲目は僕が歌う。前に出た。いつもと違う景色に戸惑う。

中年男は「なんだ、お前が歌うのか」と言いたげだ。まつりばかり見ている。特に脚。

 頭に血が昇る。緊張感。体が固まり、最初の音を出せない。声も出なかった。寒さのせいではない。

 妙な沈黙が続く。実際は数秒間だったかも知れないが、僕は永遠に動けないような気がした。

 大熊の顔が見えた。「どうしたんだ、おい」と思っているのだろう。誰かの咳払い。その時だった。

 まつりが前奏を弾いた。もともとは、僕のギターで始めるはずだった。全く予定外。完全なアドリブだ。装飾音まで入っている。

 四小節めで冷静になった。気持ちを立て直す。八小節目でギター、イン。

 吉田拓郎の「落陽」。

 歌い出し。音程は取れた。

 選曲が気に入ったのか、中年男が僕を見た。小さく首を振っている。まつりは、

練習したアレンジに戻った。コードをなぞっていく。

 二番を歌い終わり、間奏。

 オリジナルは延々とギターソロが入るが、僕たちの場合は十六小節。まつりが鍵盤を叩く。派手ではないが海に沈む夕陽を思わせる旋律。

 終わって、三番。クライマックスへ。中年男は、体でリズムを取っている。

「陽が沈んでいく」

 最後のフレーズを歌い終わり、後奏をストロークで決めて、頭を下げた。

拍手をもらえた。中年男が頷いていた。嬉しかった。

 三曲目は、まつり、四曲目は僕。交代でソロをとる。身内のクラブ員と合わせると、満足できる数の観客が集まっていた。まつりへの拍手が多い気がするが、それは仕方がない。
 僕が「舞姫」を歌い終えた。いよいよだ。

「最後の曲になりました」

 まつりが言う。

「私たちのオリジナルです。ここにいるヒカル君が歌詞を書きました。愛に溢れた曲です。ぜひ、聴いてください」

 少し間を置いて、タイトルを告げる。

「『五年の気持ち』」

 後輩たちがざわつく。

 まつりが僕を見た。小さく頷く。僕は親指で六弦をはじく。

Aマイナーのアルペジオ。移行してEマイナー、F、Cと続く。

 まつりのキーボードが被さってくる。間もなく歌い出し。僕からだ。

「あの日、春の一日」

「ぼくらのバラード」1-18 いろいろあるけど準備完了

「私、考えてる場所があるから」

 まつりが前に出た。気を取り直した。

 香坂城ホールの前、噴水広場がある。

大きなコンサートがあると、観客がたむろする場所だ。

ファンが集まって代表曲を歌ったりする。

「なるほどな」

 大熊が頷く。もっちーも「いいじゃない」と言う。

まつりが僕を見た。

「どこだっていいよ」

「あれえ、五月女さん、彼氏があんなこと言ってますけど。

気に入らないみたいですが」

 大熊がからかう。まつりが真に受ける。あわてて僕は付け足す。

「だから、いいんだよ。ここで歌ってる人、たくさんいるから。

比較されるなと思っただけ。どこでやったって緊張するし」

 あまり、フォローにならなかったらしい。

まつりが何も言わない。

「セッティングしようぜえ」
 大熊が荷物を降ろす。もっちーが手伝った。

僕はまつりのそばに行く。

「ごめん。言い方、悪かったのかな。気に入らないわけじゃないよ。

緊張してるだけで」

 それは本当だ。ここで演奏するとわかって、不安が増した。足を止めてくれる人が
いるのだろうか。

「私こそごめんね。無理に引き込んで、緊張させて。その、なんて言ったらいいのか」

「何も言わなくていいよ。まつりには感謝してるんだよ」

「ほんとに、ヒカル」

「お前らさあ」

 大熊が割り込んでくる。

「まったく。全部聞こえてるぞ。準備手伝え」

「えへへ」
 まつりが笑って、キーボードのケースを開ける。

「かわいいなあ、まつりは」

 もっちーが言う。

「田辺、お前はかわいくないからな」

 大熊、あとでぶっ飛ばす。ムカついたが、
強力な助っ人ではある。

 四人で協力すると、思っていたより早く、
準備が整った。

 もっちーがまつりの髪に赤い色を入れている。

その様子を見ていると、また大熊に突っ込まれた。

「見とれんなよ。お前もやってもらうか」

「いやいや」

 噴水の縁に腰をおろして、ギターのチューニングを始めた。

大熊も横に座る。

「おお、冷たい」

「だね、凍える」

「ストーブ持って来たけど、電気も食っちゃうし」

「長い時間、やる予定ではないけど」

「今日は一回通すだけだろ。その割には大荷物だけど」

「ありがとう、助かったよ」

「帰りもあるけどな」

「悪いな。なにかお礼する」

 大熊が白い息を吐き出した。

「なことはどうだっていいんだ。俺も興味あるし、

あとで『宙』のメンバーも来るぜ。後輩も見に来るんじゃないか」

「そうなんだ」

「みんな、応援してんだぜ」

 胸が熱くなって「うん」とだけ答えた。

 まつりともっちーが近づいてきた。

「可愛い?」

 まつりが大熊に尋ねる。

「なんで、俺に訊く。田辺に訊いてやれよ」

「だって」

 僕はチューニングを続けた。

「田辺、照れてんじゃないよ」
 まつりが輝いて見えた。これから彼女と僕が演奏をする。

見知らぬ人たちに聴かせるために。

みんなは僕に興味があるのだろうか。まつりの横にいるだけの、普通の僕に。

 初めての試み。気持ちが重くなった。

「あのさ、チューニングしてるんだよ」

 強く言いすぎたかもしれない。大熊が僕を見た。

「だな、チューニングは大事だ。悪かった」

「そうだね。打ち合わせもあるよね。大熊君、飲み物、買いに行こ」

 もっちーと大熊が、コンビニの方に歩いて行った。

 まつりが隣に座る。

「ごめん」

 謝られると困る。僕が神経質になっただけだ。

「私、はしゃぎすぎてる」

「そんなことない。僕が固くなってる」

 まつりは何も言わない。無言の時間。

「可愛いよ」

「え」

「だから」

 二回、言わせないでよ。CとFのコードを三回ずつ鳴らす。

チューニング完了。

「わかった」

 まつりが前を見る。

「ありがと。勇気が出た」

 

「ぼくらのバラード」1-17 とまどう

「そう言う割には、五月女、その格好、気合い入ってるよな」

 そうなのだ。僕が言い出せなかったこと。

 真冬の屋外なのに、まつりは白いショートパンツ。

太ももが露わ。普段は、制服の膝丈スカートで隠れている部分だ。

「やだ、もっちー、大熊がいやらしいこと考えてる」

「あ、あほー。ちゃうわ」

 大熊が取り乱す。もっちーは無表情。

「ちゃう、ってんだろ」

 関西弁と江戸っ子が混ざる大混乱。大熊、バカだなと思ってたら、

もっちーが僕に振ってきた、いきなりだ。

「まつりの脚、きれいだね、田辺君」

 まつりが、僕を見る。

「え、ええ、そうだね」

 そう答えるしかないじゃないか。

大熊が「おうおう、恥ずかしげもなく」と言う。

女子ふたりはノーコメント。何か言ってよ。

 「香坂城公園駅」に着いた。改札を出る。

大熊ともっちーが前を歩き、僕たちが続く。

 まつりに話しかけてみる。

「寒くないの、脚」

「大丈夫だよ。肌色の厚めのタイツ履いてる。

レースクイーンが着けるようなやつ」

「そっか」

「目立ちなさいって、ママが言うの。脚、出せって。

恥ずかしい、嫌だって言ったら、プロ意識がないって。

プロじゃないのにね」

「そうなんだ」

「嫌? 嫌だよね、こんな格好。何も言わないから。絶対怒ってるんだって思った」

「そんなことないよ、そんなことないけど」

「やっぱり、ヒカル、嫌だったんだ」

 大熊ともっちーが振り返った。

「なんじゃ、それ。というか、ねえ、望月さん。どう思う?」

「うん、意外」

 もっちーが僕らを見る。

「こんなまつり、見たことない」

 まつりが固まる。立ち止まって動かない。

僕もどうしたらいいのかわからない。これから演奏というのに。

もっちー、私、変?」

「変、と言うより」

 望月さんが大熊を見る。

「まつり、かわいいよね、大熊君」

 大熊がニヤリと笑った。

「五月女の弱み、握ったな」

「田辺君、すごいよ」

 もっちーが言ったが、どこがすごいのか、よくわからなかった。

「それより、早く場所を決めてくれよ。重くてしかたがない」

 大熊が言った。僕たちも現実に戻る。

「私、考えてる場所があるから」

 

 

「ぼくらのバラード」1-16 助っ人登場

 僕らの曲作りが加速した。


 十二月二十九日。晴れてはいるが、かなり寒い。とはいえ、手袋をして弦を押さえるわけにいかない。

 約束の十時に、五月女邸。運ぶ機材は昨日、メモしておいたが、まつりがいくつか書き足した。ポータブル電源が二台になっていて、これが重い。

「ヒーター、使いたいじゃない。今日、寒いし」

「運べるかなあ」

「助っ人がいるから大丈夫。力はある」

「そうなの、誰」

「すぐにわかるって。とりあえず門まで運ぼう」

 望月真理恵がいた。

「え、もっちー。無理だよ、こんな重いの」

 まつりが「違う、違う」と言う。

「私も、少しなら持てるよ」

 もっちーが言うが、まつりが否定する。

もっちーはそんなことしなくていいの。それより彼氏のごきげんを取って」

 なんと、門の前に大熊がいた。彼氏って。

「いつまで待たせるんだよ、五月女」

 もっちーが駆け寄った

「ごめんね、大熊君、まつりと話をしてた。寒かった? だいじょうぶ?」
「あ、僕はいいんですけど、望月さんは寒くないですか」

 なんだ、そのことば使い。まつりが説明する。

もっちーも来るから手伝って。そう言ったら、二つ返事だった」

 大熊が目の前に立つ。

「まったく。なんで俺と望月さんが、お前らのデートに付き合うんだよ」

「デートって」

「違うのかよ」

「大熊君、ダブルデート。ダブルデートなんだから、協力しよ」

 もっちーが言うと、大熊が顔を赤くして黙った。意外。大熊がチア部のメンバーと。これは奇跡だ。

 張り切った大熊が、機材を持とうとした。

すぐに文句を言う。

「なあ、五月女。いくら俺が力があるといっても」

 そこまで言って、ちらっともっちーを見た。

「腕は、二本しかない、です」

 珍しく正論だ。機材の数が多い。

「ごめん。用意してあるから」

 まつりが戻って行った。しばらく待つ。

 彼女が持って来たのは、背負子と台車だった。背負子には登山用品メーカーのロゴ。

「よく、こんなものあるな」

 大熊が言う。

「パパの趣味が登山なの。マナスルとかチャレンジしたらしい」

「すげーな。それは趣味とは言わない」

 大熊が背負子に発電機を乗せた。その他は台車に積む。僕もスピーカーを持つ。背中にギター。まつりもキーボードを背負い、バッグを二つ持った。もっちーも重そうなトートバッグ。

「しかし、これで電車に乗れるか」

 大熊が言う。まつりが「大丈夫だよ」、もっちーが「そうだよ」と付け加えると。大熊は黙る。僕は不安だったが、普通に改札を通過できた。

 背中に冬山登山に行きそうな荷物と、配送業者のような台車を押した高校生が電車に乗る。

「そもそも、こんな年末にお前たちの歌、聞いてくれる人、いるのか」

「わからない。でもいいの。今日は始めてだから、大それたこと考えてないよ。度胸試しだね」

「そう言う割には、五月女、その格好、気合い入ってるよな」

 ニヤニヤして、大熊がまつりを冷やかす。

「ぼくらのバラード」1-15 加速する

 いろいろな事が動き出した。

 まずはオリジナル曲を完成しなければ。翌日から、僕らは作曲を始めた。

 まつりがメロディを弾く。合わせて歌ってみる。悪くない。

 だけど、いったん盛り上がってしまって、よけいに恥ずかしくなった。彼女への思いを歌った曲だ。大熊でなくても「ヒューヒュー」言うかもしれない。

 白状した。

「恥ずかしい」

「気にしなくていいやん」

 まつりが言う。

「度胸あるなあ。恥ずかしくないの」

「照れくさい気持ちはあるよ。でも、うれしい。ヒカルさん」

「ヒカル、でいい。僕は、急な変化について行けてない」

「あはは、大丈夫、大丈夫」

 冬休みに入ったので、午前中から曲作りをしている。

気持ちのいいバラードになってきた、手前味噌だけど。

 まつりママがココアを運んで来て、しばらく練習を見ていた。

「そこは、下がらない方がいい。ヒカル君の音域次第だけど」

「出ると思います」

 試して見ると、ドラマティックになった。まつりが楽譜を直す。僕は読めないから、懸命に暗記した。

「それで、あなた達、そのストレートなんちゃらはいつやるつもり」

「ストリートね、ママ。でも、それなの。もう年末だし。やっぱり年明けの」

「何を言ってるの。そんな気持ちだと、どんどん遅くなる。年末だろうが、大晦日だろうが、お正月だろうが、行動しなければだめ。行動なくして成長なし。すぐに動く」

 過激だ、まつりママ。歌劇界で有名な五月女和華。天女のソプラノと呼ばれ、大きな舞台に立ち続けている。

「そうは言っても。ねえ、ヒカル」

 まつりが僕を見る。僕が「うん」と言うと、ママが咳払いをした。

「何なの、あなた達、その老夫婦みたいなやり取りは。パパとママでも、そんな煮え切らない会話はしないわよ。まつり。明日、実行しなさい。未完成でもいい。とにかく始めるの。始めたら、前に進んでいくものよ」

「さすがに、明日は無理。えーと、三日後。三日後に実行する。いい? ヒカル」

「えーっ、三日後? えっと」

 僕が困ると、ママがねじ込んできた。

「ヒカル君、まつりをお願い。二人で力を合わせて」

 新婦の父親みたいなことを言う。まつりを見ると、仕方がない、の表情。

「それじゃ、三日後の十二月二十九日に」

「晴れたらいいわね」

 まつりママが出て行く。

 

 僕らの曲作りが加速した。

「ぼくらのバラード」1-14 『ヒカルとまつり』

 まつりがマイクを引き寄せた。


「先輩方、お疲れさまです。そして、メリー・クリスマス。

 私たち、いっしょにやることになりました。『ヒカルとまつり』でーす」

 大熊が「ヒュー」と叫ぶ。馬鹿。

「いいコンビだ」

 先輩が声をかけてくれた。感謝。

 まつりが続ける。

「みなさんに発表があります」

「何だ、何だ、結婚発表か?」

 また大熊だ。おっさんか、お前は。

「じゃなくて」

 まつりは動じない。大胆なこと言っちゃだめだよ。

「オリジナルの曲、作ってます。まだ演奏できないけど、詞は、ここにいるみんなの部長、田辺ヒカルが書きました」

 拍手。「おー」と言う声。成り行きで、立ち上がって頭を下げた。そうせざるを得ない雰囲気。

「とっても愛に溢れた曲なので、みんな楽しみにしていてくださーい」

 後輩の一人が叫ぶ。

「まつり先輩、おめでとうございまーす」

 なんだ、「おめでとう」って。みんなにこにこしている。大熊が、腹を抱えて笑っていた。やっぱり絶対、あとでぶっ飛ばす。

「そんなわけで、あれ? どんな訳なんだろう。今日は『糸』を二人で演奏します。ヒカル君がこの曲にしようって言ってくれたの。先輩、部員のみんな。聞いてください」

 ざわついた。「縦の糸、横の糸」だよ。意味深すぎる。選曲、まずかったか。確かに提案はしたけれど。

 動揺したが、必死で伴奏した。恥ずかしさに耐えて、サビではコーラスを入れた。顔が赤くなっていたにちがいない。

 ステージを降りると、大熊が寄ってきた。

「田辺さん。田辺ヒカルさん。これは交際宣言ということでよろしいんですね」

 マイクに見立てたコンソメ味のウマイモンを、僕はかじってやった。

「照れるなよ」

 答えずにコーラを一気飲みした。突撃取材された芸能人の気持ちがわかる。

 まつりが後輩たちに囲まれていた。楽しそうだ。

 先輩の一人が、話しかけてきた。

「いいなあ、お前。うらやましいよ」

「先輩。なんかよくわからないうちに」

「この野郎」

 軽く頭を叩かれた。思ったより痛かった。