「ぼくらのバラード」1-19 いよいよ本番

「わかった」

 まつりが前を見る。

「勇気が出た」

 キーボードの前に行く。

「時間通り、始めよう。ヒカル」

 僕は頷いた。正午にスタートの予定だ。五分前。

 クラブの仲間。少し離れたところに集まっている。手を振ってくれた。

 もっちーがペットボトルを持ってきた。

「大熊君がホットのお茶がいいって」

 なんだ、あの野郎。ふたり、いい雰囲気だ。

 思ったが口に出す余裕はない。時間だ。

 まつりを見る。彼女が小さく頷く。唇が固く結ばれている。表情が固い。

おそらく僕の表情も強ばっている。仕方がない。初めての経験なのだ。

 一曲目は、まつりのソロだ。Dセブン・サス・4で始まる。

彼女が二回、キーボードを叩いた。スピーカーがいい音を鳴らす。五月女家の機材、さすがだ。

 僕も同じコードを弾く。まつりが僕を見て微笑む。リラックスしたようだ。

 僕はまだ緊張している。

「みなさん、こんにちは。初めまして」

 まつりの声が広場に響く。

「ヒカルとまつりでーす」

 大熊が笑い、もっちーが手を叩く。

「寒い中、ありがとうございまーす。私たちの演奏、聴いていってください。一曲目です」
 前奏が始まる。クラブで演奏した「糸」。

まつりのソロだ。歌に入る。出だし、声がかすれたが、すぐに持ち直した。

 立ち止まる人が現れた。年配の男性が目立つ。まつりが目を引く。

歌い終わり、最後の音が消えていく。拍手が起こった。

 一番前で、強く手を叩いている中年男性がいる。紺色のコートを着て、ビジネスバッグを足もとに置いている。仕事の途中なのだろう。

 二曲目は僕が歌う。前に出た。いつもと違う景色に戸惑う。

中年男は「なんだ、お前が歌うのか」と言いたげだ。まつりばかり見ている。特に脚。

 頭に血が昇る。緊張感。体が固まり、最初の音を出せない。声も出なかった。寒さのせいではない。

 妙な沈黙が続く。実際は数秒間だったかも知れないが、僕は永遠に動けないような気がした。

 大熊の顔が見えた。「どうしたんだ、おい」と思っているのだろう。誰かの咳払い。その時だった。

 まつりが前奏を弾いた。もともとは、僕のギターで始めるはずだった。全く予定外。完全なアドリブだ。装飾音まで入っている。

 四小節めで冷静になった。気持ちを立て直す。八小節目でギター、イン。

 吉田拓郎の「落陽」。

 歌い出し。音程は取れた。

 選曲が気に入ったのか、中年男が僕を見た。小さく首を振っている。まつりは、

練習したアレンジに戻った。コードをなぞっていく。

 二番を歌い終わり、間奏。

 オリジナルは延々とギターソロが入るが、僕たちの場合は十六小節。まつりが鍵盤を叩く。派手ではないが海に沈む夕陽を思わせる旋律。

 終わって、三番。クライマックスへ。中年男は、体でリズムを取っている。

「陽が沈んでいく」

 最後のフレーズを歌い終わり、後奏をストロークで決めて、頭を下げた。

拍手をもらえた。中年男が頷いていた。嬉しかった。

 三曲目は、まつり、四曲目は僕。交代でソロをとる。身内のクラブ員と合わせると、満足できる数の観客が集まっていた。まつりへの拍手が多い気がするが、それは仕方がない。
 僕が「舞姫」を歌い終えた。いよいよだ。

「最後の曲になりました」

 まつりが言う。

「私たちのオリジナルです。ここにいるヒカル君が歌詞を書きました。愛に溢れた曲です。ぜひ、聴いてください」

 少し間を置いて、タイトルを告げる。

「『五年の気持ち』」

 後輩たちがざわつく。

 まつりが僕を見た。小さく頷く。僕は親指で六弦をはじく。

Aマイナーのアルペジオ。移行してEマイナー、F、Cと続く。

 まつりのキーボードが被さってくる。間もなく歌い出し。僕からだ。

「あの日、春の一日」